裂け目の奥で揺らぐ黒い影は、形を定めず、
まるで煙と液体の中間のような質感で、こちらを覗いていた。
それは“目”のように見えた。
しかし、正確には……形容しがたい“存在の穴”だった。
ミアが抱える精霊の幼体が激しく震え、光を失いかける。
「……いやっ……来ないで……!」
ミアは必死に光を守ろうと両腕を広げた。
ガルドが剣を抜き、震える足を踏ん張る。
「う……うわ……何だよあれ……!
身体が言うこときかねえ……!!」
ルリエは蒼白になりながら魔法陣を展開しようとするが、
魔力が空気に吸い取られるように散っていく。
「魔術が……拡散させられてる……っ……!」
ハルイチは皆の背後から影を“観察”した。
その瞬間、トライ・アナライズが暴走しそうな速度で情報を流し込む。
【異界存在:分類不可】
名称:未定(仮称:侵食者)
性質:魂・魔力の吸引
構造:外界残滓
目的:接触対象の“消費”
危険度:S+
警告:あなた以外は視認不可
(……やっぱり俺にしか見えていない……!
これは戦う相手じゃない……“触れただけで消える”タイプだ)
影は形を変えながら、ミアの持つ精霊の光へゆっくりと伸びてくる。
音も、圧も、殺気もない。
だが、その存在自体が“世界の理の外”だった。
ハルイチは、前へ一歩出た。
「ルリエ、ガルド……ミアの近くに寄るな!
“見えてる俺”が前に出る!」
ルリエ「何言って……! あなた、戦えないのよ!?」
ガルド「そうだ! 無茶だろ!!」
ハルイチは静かに言った。
「戦えないからこそ、気づけることがあるんだ」
その言葉に、ガルドもルリエも動きを止める。
ミアだけが、震えた声で呟いた。
「ハルイチ……怖くないの……?」
ハルイチは微笑んだ。
「怖いよ。
でも、俺は“君の力を信じてる”。
そして──俺の《トライ・アナライズ》は、
“理解するためにある能力だ”」
ミアはハルイチを見上げ、涙の中に強い決意を宿した。
■ ハルイチ、侵食者と正面から対峙する
影は、音もなく目の前まで迫った。
近くで見ると、それは影でも煙でもなかった。
空間が削れた跡。
世界に空いた“穴の名残”。
その中心に、幾つもの“視線のようなもの”が蠢く。
……キコエル……カ……
……アナタ……チガウ……
……ナゼ……ミエル……?
影が直接、頭の中へ語りかけてきた。
ハルイチは息を飲んだ。
(……会話が……できる……!?)
トライ・アナライズが自動翻訳を試みる。
【侵食者言語:解析中……】
【意味抽出:相手に“興味”を示している】
【仮説:侵食者は意思疎通が可能】
【追加:ただし、理解は“消費の前提”】
影は囁く。
……チカラ……チョウダイ……
……ヒカリ……オイシイ……
(……ミアの光を……食べようとしてる……!?)
ハルイチの背筋が凍る。
だが同時に、影の“未完成さ”も理解した。
(こいつ……完全な存在じゃない……
この世界への干渉が不完全だ……!)
ハルイチは影に向かい、声に出して言った。
「……聞こえてるんだろ?
君は、この世界の存在じゃない。
でも理由があって、ここへ引き寄せられたんだな?」
影が一瞬止まり、波紋のように揺れる。
……ワカ……ル……?
……キミ……ナニ……?
トライ・アナライズが晴一の脳裏に情報を送る。
【侵食者:知性反応確認】
【感情:混乱・飢餓・孤独】
【補足:敵対ではなく“本能による行動”】
(……敵じゃない。
でも、このまま放置すれば世界を壊す……
どう止める?)
考えろ。
戦わずに止める方法。
話が通じるなら、“ルール”を作らせればいい。
ハルイチは深く息を吸い込み、影に向けて言葉を投げた。
「ミアの光は“食べ物”じゃない。
これは、この世界の“命”だ。
……もし君が生きたいのなら──
俺が、別の道を探す」
影がわずかに揺れる。
……タス……ケル……?
……ワタシ……オ……?
ハルイチはうなずいた。
「君を“敵”だとは思わない。
でも、このままじゃ君も、この世界も壊れる。
俺に……“理解させてくれ”。」
影が、近づく。
ハルイチの目の前で、空気が歪むように閃いた。
ルリエが叫ぶ。
「ハルイチ!! 危ない!!」
ガルドも剣を構える。
「やめろーー!!」
ミアも涙を流しながら叫ぶ。
「ハルイチ!! 行っちゃダメ!!」
だがハルイチは静かに言った。
「大丈夫だ。
俺は“分析する”ためにここへ来た。
君たちを守るために、ここにいる。」
影がハルイチの額に触れる。
そして──
ハルイチだけが“別の世界の景色”を見る。
破壊された大地。
音もなく沈む光。
そして孤独に震える影の“芯”。
影は、泣いていた。
……サムイ……
……クルシイ……
……タスケテ……
その声にハルイチはそっと手を伸ばした。
「……わかった。
君も、救われたいんだな」
影の揺れが、ほんの一瞬だけ止まった。
そしてハルイチの手に触れた瞬間──
影の奥で“新たな叫び”が響いた。
……アレ……ハ……アナタ……?
……ドウシテ……ソンザイ……?
ハルイチの脳裏に、強烈な光景が広がった。
──ハルイチと同じ“立体分析の視界”。
──誰かがこの世界の外側で“侵食者”を作り出している。
──強い悪意と、強い好奇心。
誰かが“見ている”。
ハルイチだけを。
影が震えるように囁いた。
……キイ……テ……
……ワタシ……タスケテ……
ハルイチは、迷わず言った。
「助ける。
だから──
俺たちを、襲うのはやめてくれ。」
影は、静かに形を崩し、
風に溶けるように裂け目の奥へ消えていった。
トライ・アナライズが最後の解析を残す。
【侵食者:撤退を確認】
【精神波:安定化】
【主危険因子:影の背後の“創造者”】
【次の警告:あなたを“観測する存在”がいます】
ハルイチは崩れ落ちないように踏ん張り、
ミアたちの方へ振り向いた。
ミアが泣きながら飛びつき、ハルイチの胸に顔をうずめる。
「ハルイチ……よかった……!
消えちゃうかと思った……!」
ガルドは拳を震わせる。
「バカ野郎!! 心臓止まるかと思ったぞ!!」
ルリエは静かに微笑む。
「……あなた、本当に戦わないのに……
一番危険なところへ行くのね」
ハルイチは、疲れ切った顔で笑った。
「俺は……戦えないからな。
だから──“理解”で立ち向かうしかないんだよ」
森の心臓が、少しだけ光を取り戻した。
だがその影で、
“誰か”の視線がハルイチを見つめていた。
新たな敵が、確かに動き出している。


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